耐震強度偽装問題の本質
例の耐震強度偽装問題が、毎日毎日ニュースになっています。
けど、ニュースの論点も、対策の観点も、なんかおかしいような気がしませんか?
常に誰の責任か、みたいなことが一番の論点になっているのです。
誰の責任かは当然明らかにしなくてはなりませんが、今必要なのは、どうすればいいかということ。
で、どうすればいいかという観点では、補強とか建て替えとか保証とかの話になってくるんだけど、話がここで終わっていることについておかしいとは思いませんか?
要は、偽装が問題なのではなくて、安全性が問題だということ。
そう考えると、我々の周りには現在の建築基準で建てられていない古い建物がゴロゴロしているわけです。阪神大震災をみるまでもなく、偽装しなくても崩れてしまいそうな古い建物がゴロゴロしているわけです。偽装であろうがなかろうが、安全性に問題があるという意味では全く同じなわけです。どうしてみんな(報道機関も対策機関も)そういうことを見てみないふりしてるんだろ?
今、仮に大地震が発生して、偽装マンションが崩れたらメチャクチャ言われるんだろうけど、古いマンションが崩れてもきっとたいしたニュースにはならないんだろうなあ。おかしいよなあ・・・・。
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