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2008.06.24

チュニジア旅行記09「カルタゴの軍港」

昼食の後は、いよいよカルタゴ遺跡の観光です。

カルタゴ遺跡といっても、ひとつではなく広範囲に点在しています。しかも、元々あったフェニキア時代の古代カルタゴ遺跡と、ローマが征服したあとのカルタゴ遺跡が混じっています。ただ、元々あったフェニキア時代の遺跡は、ほとんどがコテンパンに破壊されていて、あまりまともな遺跡はないようです。

なぜかというと。
カルタゴといえば、フェニキア。フェニキアとローマの争いは、ポエニ戦争で有名ですね。
ご存知のとおり最終的にはローマが勝ってフェニキアを滅ぼすのですが、ローマのやり方は徹底的。
侵略したあと、元々あった建造物とか施設とか使えるものはいくらでもあったはずのに、コテンパンに破壊し、その上に都市を造り直した模様です。しかも、利用価値のないところは破壊した上でその上に塩をまき、作物を作れないようにして人も住めないようにしたようです。

さて、前置きが長くなりましたが、最初のカルタゴ遺跡の観光は、フェニキア時代の軍港です。

08062401

この軍港、なかなか工夫されています。

まずそのつくり。

基本的には入り江の奥にある港なのですが、普通の商業港と軍港がセットになっています。
そして、港全体が10mくらいの高い壁で囲まれています。この壁は、どちらかというと防御のための壁ではなく、外から見ても港の中が見えないようにするものです。
入り江の近くが商業港になっていて、商業港の奥にある円形の潟が軍港となっています。つまり、軍港へは商業港を通らないと行けないようになっています。そして、軍港と商業港は、船が1隻通れる位の水路でつながって、いざというときにはこの水路を閉じることができるようになっています。

08062402

さて、その軍港の運用の仕方は。

外海で敵船団との戦いになったとします。しかも、味方が不利。これはまずい!と思ったら、味方の船は、商業港を通り、狭い水路を通って、軍港に逃げ帰ります。そして、水路を閉じます。
あとから追っかけてきて商業港に突入した敵船団は、フェニキアの軍船を見失ってしまい、商業船しか発見できないというわけです。

なかなかうまい作戦だと思うのですが、致命的欠点がふたつ。

ひとつめ。
確かに一時的に敵の目から逃れることはできるでしょうが、逃げ帰ったということは、敵のほうが優勢だということ。当然、商業港は、占領されてしまうと考えるのが妥当でしょう。しかし、軍港から外海に出るためには、商業港を通らなければなりません。ということは、逃げ帰った味方の軍船は、二度と出港できなくなってしまうのでは・・・・。

ふたつめ。
そもそも軍隊というものは民間を守るためにあるものでしょう。民間を盾にして軍隊が隠れてしまうとは、あまりにも逃げ腰なのでは・・・・。

いろいろと考えがふくらんで、なかなか楽しい時間を過ごせました。

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