日本史のお勉強03「古墳時代」
4世紀から7世紀は古墳時代ですが、このころ政治を取り仕切っているのは大和朝廷と習ったはずです。
が、最近の教科書では、ヤマト政権と教えているそうです。
朝廷が政権に変わっています。
大和がヤマトに変わっています。
朝廷が政権に変わった理由。
この時代は単なる地方の政治を取り仕切るレベルで、朝廷と呼ばれるような大掛かりなものではなかったということです。
大和がヤマトに変わった理由。
国名として大和という記載が登場するのは、実は8世紀の後半で、4世紀〜7世紀の古墳時代には大和と呼ばれた証拠がないということらしいです。なので、便宜的にヤマトと呼ぶようにしたそうです。
ということで、政権の呼び方が変わったわけですが、一方、古墳の名前も変わっています。
昔、仁徳天皇陵と習った古墳は、今は大仙陵古墳と教えているそうです。
また、後で調べたのですが、応神天皇陵も誉田御廟山古墳 という呼び方になっていました。
いずれも、仁徳天皇や応神天皇のお墓と断定できないからだそうです。
う〜ん、歴史って大変だな。
研究が進めば進むほどいろいろなことがわかることもあるし、研究が進めば進むほど余計わからなくなることもあるんだな・・・・。
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