日本史のお勉強11「最澄と空海」
学生の頃、最澄と空海を混同せずに憶えるのがたいへんでした。
最澄-伝教大師-比叡山-延暦寺-天台宗。
空海-弘法大師-高野山-金剛峯寺-真言宗。
どこかでひとつ間違えるんですよねえ。
おとなになって歴史に興味を持ち、また実際に延暦寺や金剛峯寺を拝観したせいもあり、今はもう間違えることはなくなりました。昔憶えたことを忘れることはよくあることですが、昔憶えられなかったことをトシとともに憶えていくということは、多少なりとも成長しているということなんでしょうか?
さて、最澄と空海。
ものすごい人たちなのですが、現代ではなぜか空海のほうが圧倒的にカリスマ的な人気があります。なぜなんでしょうかね。
実は私も、本とかいろいろなものに影響されて、最澄よりも空海に対する知識のほうが圧倒的に多いです。
空海がクローズアップされるのは、無名の空海がいきなり遣唐使に任命されたあたりからでしょう。
空海と最澄が乗った船以外が遭難してしまったというのも、すごいエピソード。
で、空海は密教を極めるために唐に渡ったわけですが、いきなり密教を学ぶのではなく、インドの僧にサンスクリット語を学んだというのも偉いところ。密教はもともとサンスクリット語が原語なんですね。聖書を理解するために、原語のヘブライ語から勉強を始めるようなものです。
そして、密教を恵果和尚から学ぶわけですが、たった数ヶ月で一番弟子となり、密教の全てを伝授してしまうのです。密教は完全相伝なので、空海だけが密教の本質を受け継ぐことになったのです。
そして、このすべての作業を2年で終えて日本に帰国し、それから彼の活躍が始まるのです。
う〜ん、すごい人だったんだなあ。
才能的にも、根性的にも。
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