帰省
さて、本日よりお正月休み。
いつものように、1週間ほど北海道へ帰省してきます。
行ってきます!
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先日、秋葉原の駅ナカで、大量のガシャポンが置いていました。
常設ではないようで、なんらかのイベントで臨時にガシャポンが並べられていたようです。
普段はガシャポンをやることはないのですが、その中にデフォルメトレインミュージアムというガシャポンを発見しました。名前の通り、チョロQのような電車が出てくるガシャポンです。
これは、やるしかない!
出てくる可能性のある電車は、以下の8種類の何れかです。
EF65電気機関車(はやぶさ)
EF65電気機関車(スーパーエクスプレスレインボー)
103系電車(総武緩行線)
103系電車(山手線)
103系電車(中央線特別快速)
103系電車(京浜東北線)
ドクターイエロー922形
0系新幹線
さすがに全8種類を集めるまで続けるのは無謀なので、とりあえず2回チャレンジ。
0系新幹線とEF65電気機関車(スーパーエクスプレスレインボー)をゲットしました!
その日はそれで満足して帰ったのですが、よくよく考えるとまだ103系電車をゲットしていません。どうしても欲しくなってきました。
ということで、本日会社帰りに秋葉原に立ち寄り、再挑戦。
一発で、103系電車をゲットしました!
しかも、普段通勤に利用している馴染みの京浜東北線でした!
いずれも400円の割には作りは精密で、さすが海洋堂といった感じでした。
ちなみに、ガシャポンという言葉が正しいのかどうか調べてみたのですが、ガシャポンというのはなんとバンダイの登録商標でした。なので、正確には、海洋堂のはガシャポンではなく、カプセルトイとかガチャガチャとか言わないとダメみたいです。めんどくさいですねえ。
最後に。
今は亡きどすこい君とよく旅行したのですが、旅行の最中に気になるガシャポン的なものを見つけたことがあります。
ふたりで2個ずつ、合計4つをゲットしたのですが、よりによってそのうちの3つが全く同じケンメリスカイラインでした。
ふたりで大爆笑したのを思い出しました‥‥。
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仏像拝観の旅も無事終了。
今回最後の報告は、自分のお土産です。
またまた招き猫を買ってしまいました。
金峰山寺の門前町で、1個。
伊勢神宮のおかげ横丁で、3個。
ちなみに、お値段は、合計で軽く3万円オーバー。
最近は、
招き猫の値段も、
招き猫のサイズも、
招き猫の個数も、
どんどんエスカレートしています。
ちょっとセーブしないと、まずいかなあ‥‥。
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本日12月26日、嵐の東京ドームツアー「アユハピ」初日。
私は嵐には全く興味がないのですが、諸般の事情により、グッズだけ買いだしに行きました。
事前に調べたところ、グッズの列はとんでもなく長くなることがわかっていました。
しかも、主だったグッズは、早めに売り切れてしまうこともわかっていました。
なので、早めに東京ドームへ向かいました。
3時50分、起床。
4時20分、自宅出発。
5時30分、東京ドーム着。
この時点で、150人ほどの列ができていました。
いつから並んでいるんだか。
けど、この位置だとグッズは確実にゲットできそうで、ひと安心。
あとは、10時の発売開始まで寒い中ひたすら待つだけです。
相当な防寒装備で臨んだんですが、やはり寒かったです。
しかも、短時間ではありましたが予期しない雨も降り始め、たいへんな状態でした。
公衆トイレが近かったのが、不幸中の幸い。
最近は、主だった施設では、ネットで公衆トイレの位置が調べられるのが良いですね。
10時販売開始の予定ではありましたが、あまりの長蛇の列に配慮したのか、販売時間は1時間ほど繰り上がり、9時過ぎにはグッズ販売が始まりました。
が、売り場のバイトのお姉さんの手際の悪いこと。
決められた通り一生懸命作業をしているのはわかるのですが、「電卓使ったことがないんですか?」と突っ込みたくなるほどのモタモタ感。これじゃあ、列もなかなか進みません。
こういったビッグイベントでは、バイトの方もそれなりの練習をしてきていただきたいものです‥‥。
なんだかんだで、9時30分までには無事狙いのグッズをゲットできました。
疲れました‥‥。
ちなみに。
東京ドームとその周辺では、いろいろなイベントが定常的に開催されているようです。
「ウルトラヒーローズEXPO2017」とか、「ウルトラアイから見た宇宙」とか、そういったイベントも開催されているようです。
嵐より、そっちのほうに興味があります。
見にいこうかな‥‥。
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本日、某友人の家で年末恒例の食事会(クリスマス会?)が開催されました。
私が初めて海外旅行をした時に知り合った仲間で、知り合ってから20年以上も経つのにまだ付き合いが続いています。
今回も、8人が集まりました。
友達が少ない私にとって、数少ない交流の場。
今後も、大事にしていこうと思います。
次に集まるのは、おそらく2月か3月に開催される豆まき大会。
会場は、毎回決まっています。
それは、私の家。
豆まきで、部屋の中が大惨事になることが予想されます‥‥。
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今回の旅行の帰りは、滋賀県から横浜まで高速道路で一直線でした。
天気は、ずーっと雨。
そんでもって、愛車 Renault 21 号、サンルーフからひどい雨漏り。
ポタポタ垂れてくるというレベルでは、ありません。
強めにブレーキを踏むと、たまっていた雨水が一気にザバッという感じで頭上から降ってきます。
頭からコップ一杯の水をかけられたような印象です。
運転に支障をきたすレベルの雨漏りでした‥‥。
で、雨も降っていてスピードを出すのも危ないし、雨漏りもひどいし、チンタラ走ることを決意。
そのついでに、燃費アタックをしてみました。
高速道路に入って、すぐに給油。
時速80km/h、2000rpmをひらすらキープ。
そしたら、1991年に愛車 Renault 21 号 を購入して25年目にして、15.2km/ℓという過去最高の燃費を叩き出しました!
今までは、普段の街乗りで、せいぜい6〜7km/ℓ。
高速を使っても、せいぜい12km/ℓ。
15.2km/ℓというのは、驚異的な数字でした。
普通の車は、走れば走るほど燃費が悪くなっていくはず。
なのに、愛車 Renault 21 号 は、どんどん燃費が良くなっているように感じます。
何か車に変化があったのか。
私がトシをとってアクセルを踏まなくなっただけなのか。
不思議です‥‥。
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2016年12月24日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に行ってまいりました。
ずいぶん久しぶりの生観戦となりました。
プロレス人気が下火になり、
地上波テレビからも見放され、
ろくなスポンサーも付かず、
人気選手が引退したり、
人気選手が他団体に移籍したり、
金銭トラブルがあったり、
なんだかんだでプロレスリング・ノアも経営不振。
新日本プロレスから支援を受けて子会社化。
新日本プロレスから派遣された選手軍との対抗戦に明け暮れ、ノアとしては不本意なプロレススタイルを余儀なくされた2年間。
あまりの悲惨さに、私もノアの大会に行くことが少なくなっていました。
が、プロレスリング・ノアが経営的に新たな展開を迎え、新日本プロレスとの関係も清算する流れとなった2016年の年末。
プロレスリング・ノアの新たな旅立ちを見るべく、後楽園ホールに行きました。
選手全員、のびのびと本来のプロレスリング・ノアのスタイルを貫いていました。
まずは、ひと安心。
それでも、経営が厳しいのはそう簡単には解消されないはず。
私もできるだけ生観戦して、経営を助けていかないと‥‥。
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この旅行の最後に訪れたのは、滋賀の石山寺。
33年に1度の開帳の、如意輪観音を参拝するためです。
たいへん良い仏様でした。
次の開帳は、33年後。
私がもう一度この仏様にお会いするのは、難しいだろうなあ‥‥。
ちなみに、石山寺では、紫式部展なるものが開催されていました。
実は、私は紫式部展に入場できるチケットも持っていました。
が、雨が降っていたこと、旅行最終日で疲労困憊していたこと、紫式部展の入り口がわかりづらく探す気力もなかったことなどの理由で、紫式部展はパスしてしまいました‥‥。
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今回の旅行の最終日は、伊勢神宮。
いつものようにお参りし、いつものようにおはらい町とおかげ横丁を散策してきました。
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この日の宿泊は、松阪の馴染みの旅館。
今回も、大歓迎でした。
とてつもなく美味しい食事をいただいた後、仕事が終わった若旦那さんから声をかけられ、食堂で楽しく歓談。
そこに若女将さんも加わって、話は一層盛り上がります。
さらにそこに女将さんも加わって、もう家族ぐるみの歓迎。
最後には、若旦那の長女ちゃんも挨拶にやってきてくれました。
いいなあ、こういう関係‥‥。
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11月26日は、蔵王権現の開帳に合わせて金峰山寺へ行ったのですが、裏の目的は護摩祈祷でした。
ここ数年、同じ時期に金峰山寺を訪れているのですが、護摩祈祷はいつも11時からでした。11時の護摩祈祷に間に合うように10時20分に金峰山寺に到着したのですが、なんと護摩祈祷はすでに始まっていました。
結局、途中から護摩祈祷に立ち会うという中途半端なことになってしまいました。残念。
で、近くにいた行者さんに聞いたのですが、この日は午後からイベントがあるので護摩祈祷はいつもより早く始まったとのことでした。
せっかくなので、午後からのイベントに立ち会うことにしました。
そのイベントの正式名称はわからないのですが、火をばんばん焚いてひたすら祈祷する、豪快なイベントでした。
調べもしないで金峰山寺を訪れ、滅多にないイベントに立ち会うことができて、とてもラッキーでした。
そのイベント、多くの行者さんが参加していたのですが、女性の行者さんがけっこういました。しかも、女性がそのイベントの重要な役割を担っていました。山にこもる修行は男性のものだと思っていたので、意外でした。
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奈良の有名人、せんとくん。
リアルせんとくんを発見しました。
一瞬、不気味さを感じましたが、よくよく見ると、アリ。
夕方には、観光終了。
11月末だと、17時を過ぎるとほとんど真っ暗です。
この日の夕食は、イタリアン。
私はあまり食にこだわりがあるほうではないので、普段はおしゃれなイタリアンレストランに入ることはまずありません。ファミレスや牛丼で充分!
けど、旅をしたときくらいはちょっと奢ります。
さて、お土産。
私は仏像が好きで、絵葉書やポスターや記念になるものを集めています。
が、どうしても手が出ないのが、仏像のフィギュア。
仏像のフィギュアは、ガシャポンレベルから数十万円のものまで、けっこう見かけます。
興福寺の阿修羅とか広隆寺の弥勒とか、実際に存在する仏像をモデルとしたものが多いです。
が、残念ながら、本物を彷彿とさせるものがないのです。
一言で言えば、似てないのです。
数十万円のフィギュアでも、なんか違うのです。
そんななか、ホテルの近くのお土産屋さんで、意表をついたものを見つけました。
新薬師寺の伐折羅をデザインした、一刀彫の板(レリーフ)です。
本物そっくりにしようとしてかえって違和感が残るくらいなら、いっそのことデフォルメしてしまえという潔さがすごいです。
本物とは全く違った作品なのに、本物の良さが伝わってきました。
お値段は、25,000円。
作品の価値からすると、とてもリーズナブル。
が、旅行のお土産として衝動買いするには、高価。
ずいぶん悩みましたが、結局ゲットしてしまいました‥‥。
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東大寺の大仏殿というと、盧遮那仏(大仏さま)がすぐに思い浮かぶと思います。
大仏さまの陰に隠れていますが、その両脇に控えている虚空蔵菩薩・如意輪観音の2駆の仏さまも、たいへんご立派。大仏さまが隣にいなければ、充分に主役になれるくらい、迫力のある仏さまです。
だがしかし。
隣にいるのは、あの大仏さま。
どうしても脇役っぽくなってしまいます。
ピラミッドの隣に座っているスフィンクスと、イメージがダブります‥‥。
さらに地味なのは、四天王の広目天と多聞天。
この2駆の仏像も、巨大で大迫力。
けど、なんかぞんざいに扱われている感じがします。
屋内に展示されているにもかかわらず、窓の近くに置かれているので、直射日光にさらされているのです。
もうちょっと保存に気を使ってもいいと思うのですが‥‥。
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東大寺には何回も訪れているので、今回は他のところをまわろうと思っていました。
が、やはり東大寺の圧倒的な仏像群は、見ないわけにはいきません。
結局、東大寺ミュージアム→三昧堂→法華堂→二月堂→戒壇堂→大仏殿と、主だったところはすべて見てまわりました。
東大寺については、何回もこのブログで書いているので、今回は特にコメントはしません。
が、ひとつだけ言えること。
何回訪れても、良いものは良いということ。
新たな感動はなくても、感動は深まるということ。
仏像は、奥が深いです。
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奈良国立博物館では、名品図録をゲットしました。
実は私は奈良国立博物館の図録を持っているのですが、今年からデザインが変わったということで、2冊目を追加購入しました。
図録の他に、仏像の写真がたくさん載っている写真集も2冊ゲット。
奈良国立博物館(なら仏像館)は、仏像の質・量とも文句無しです。
まさしく、日本仏像界の聖地です。
ただ、ひとつだけ文句があります。
トイレットペーパーが硬い!
お尻が痛い!
要改善!
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長いこと改装中だった奈良国立博物館の仏像館が、やっと公開されました。
パッと見た感じでは、何がどう改装されたのか、さっぱりわかりません。
が、展示の仕方は、ちょっと変わったように感じました。
昔ながらの博物館は、主な展示物はガラス張りのケースの中に入れて、絶対に触れないようにしていました。
が、最近の流行りは、ガラスなしのナマでの展示。手を伸ばせば届くような距離に、ナマで仏像が展示されています。
このような展示だと、仏像正面からだけでなく、横や後ろから見られることもあり、見る側にとっては大歓迎な展示方法です。
けど、悪いことをするヤツがいたらたいへんだな‥‥。
展示されていた仏像の中で、一番印象に残ったのは、やはり金剛寺の降三世明王かな。
巨大なだけでインパクトがあるし、上手に修復されていて、好印象。
破損仏像残欠コレクションという展示も、目を引きました。
壊れた仏像のパーツ(手だけとか頭だけとか)を、無理に修復せずにそのまま展示していました。
それはそれで、いろいろな想像力をかきたてられて、おもしろかったです。
あと、私の好きな東寺の兜跋毘沙門天が展示されていました。
と思ったら、兜跋毘沙門天の模刻でした。
東寺の兜跋毘沙門天、昔からお手本になるような仏像だったんですね。
ちなみに、いろいろなお寺には、十二神将とか四天王とか、セットものの仏様がいたりします。
が、最近は、そのうちの何体かを国立博物館で展示することが多くなってきたようです。
奈良国立博物館にも、そのような仏像が何体か展示されていました。
理由は、文化財保護のためらしいです。
地震とか火事とかで、全滅するのを防ぐためなのかな。
設備の充実した国立博物館で、大事に保護するためなのかな。
その主旨にはおおいに賛同しますが、やはりセットで見たいなあ‥‥。
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この日のメインは、奈良国立博物館。
なぜなら、仏像館が改装されてからまだ訪れたことがないので。
で、奈良国立博物館を含め、合理的に仏像を見て歩くとなると、やはり興福寺と東大寺がセットになります。
ということで、まずは宿泊したホテルから一番近い興福寺に行くことにしました。
興福寺は、ただいま中金堂を再建中です。
最近は毎年のように興福寺を訪れていますが、2018年完成に向けて、着々と工事が進んでいるようです。
建築中の建物は見えないように隠されているのですが、覆いの隙間から着色された柱が見えました。
完成間近です。
興福寺を訪れるのは、もう何回目になるのかわかりません。
当然ながら訪れるたびに国宝館で仏像を拝観するのですが、興福寺の国宝館に安置されている仏像は、基本的に入れ替えはありません。
なので、毎回同じ仏像に会うことになります。
が、全然飽きません。
何度見ても、良いものは良いです。
ちなみに、ここでゲットしたのは、仏像のクリアファイル。
絵葉書やクリアファイルなどのグッズは、似たようなものばかりなのですが、どうしても買ってしまいます。
というか、すでに持っているものと同じものを買ってしまう危険性もあります。
こういったグッズは、毎年デザインを変えて欲しいものです‥‥。
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室生寺の金堂には、あの有名な十一面観音をはじめとしたすばらしい仏像がたくさん安置されています。
普段は、金堂の外からしか仏像を拝観することはできません。が、私が室生寺を訪れた時は、特別拝観ということで、金堂の中に入ることができ、すぐ近くから仏像が拝観できる期間中でした。
私が室生寺に着いたのは、15時30分。
拝観終了時間までは、まだ時間的な余裕があるはずでした。
ところが、着いてからわかったのですが、金堂の中に入れるのは、実は15時まででした。
本来なら金堂に入れないところでしたが、拝観に来た人のために、拝観時間を延長してくれていました。しかも、マンツーマンでご説明までしていただきました。
どうもありがとうございました。
お話を聞いてわかったことがあります。
金堂に安置されている主な仏像は、板に彩色された光背を背負っています。仏像は平安時代のモノが多く、光背も同時期に作られたモノがほとんどです。
が、一番有名な十一面観音の光背だけは、江戸時代に作られたモノだということでした。
そう言われてよくよく見ると、十一面観音の光背の作風は、明らかに他の光背の作風と異なっているのがわかります。なんか、雑なデザインのように思えました。
仏像を作る技術や彩色をする技術は、鎌倉時代あたりでピークを迎え、そのあとは衰退しているように感じるのは気のせいでしょうか‥‥。
ちなみに、ここでゲットしたグッズは、仏像の写真集と仏像のクリアファイルと仏像のポスター。
私は招き猫を集めるのが趣味ですが、仏像グッズもだんだん充実してきました‥‥。
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道成寺の次は、長谷寺に参拝しました。
私が長谷寺を訪れたのは、特別拝観の期間中でした。
この期間中は、普段は入れない本堂の中まで入ることができます。
そして、なんと十一面観音様の足に直接触れることができるのです。
重文に直接触れる機会というのは、そうそうないですよね。
とてもありがたい気持ちになりました。
そして、拝観の後は、抹茶をいただきました。
紅葉は終わりかけでしたが、誰もいない茶店から眺めた外の世界は、なんか格別なものがありました。
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秘仏という仏様が、たくさんおられます。
何年何十年かに一度、開帳される秘仏。
今までに一度も開帳されたことのない、絶対秘仏。
私は、以前から秘仏というものの意味がわかりませんでした。
そもそも、仏像とはなんのためにあるのか。
多くの人は仏様に会ったことがないはずで、仏様がどのようなものなのかわかないはず。
わからないものを信じるのは、難しいはず。
だから、仏様はこんな感じですよとビジュアルに訴えるのが仏像のはず。
仏像は決して仏様というわけではないのですが、仏像を見ることによって真の仏様をイメージし、真の仏様を拝む。
それが、偶像崇拝の意味のはず。
即ち、仏像は、人に見せるためにあるはずなのです。
そう思うと、なぜ仏様を隠して秘仏とするのか、意味がわからなくなるのです。
いろいろと調べてみても、秘仏についてなかなか納得のいく答がありませんでした。
そんな中、道成寺で、その答に近づきました。
道成寺に、秘仏とは何かを説明する説明書きがあったのです。
ネットにもその内容が記されていたので、以下に紹介します。
ーーーーここから、引用ーーーー
秘仏とは、もったいぶって隠している仏様ではありません。
われわれの人生では、大事な人と離ればなれになることがしばしばおきますが、離れたからと言っても心の絆が消えるわけではありません。秘仏とは、先に見送った親のように、会えないけれど強く導いて下さる仏様。たとえ顔は見られなくとも、その寂しさを理解して下さり、心の絆を深めて下さる仏様なのです。
ーーーー引用、ここまでーーーー
どうですか。
正解かどうかはわかりませんが、納得できる説明だと思いませんか。
だがしかし。
そうは言っても、仏像好きの私にとっては、秘仏の仏様にも一生に一度はお会いしたいもの。
ときどき開帳していただけませんかねえ‥‥。
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昨日、久しぶりに以前録画していた「AKIRA」を見ました。
何度見ても、すごいアニメです。
単行本で読んだ時の衝撃も凄まじかったのですが、それをアニメ映画化した本作も、全くクオリティが落ちていません。
日本アニメ史上、最高傑作かもしれません。
大友克洋、恐るべし。
ちなみに、この作品、2019年の世界を描いていますが、なんと東京オリンピックを準備していることが描写されています。
2020年の東京オリンピック開催が決まったのは、2013年。
AKIRAの連載が始まったのは、1982年。
単なる偶然だとは思うのですが、1982年時点で2020年のオリンピック開催を予知していたとしか思えません。
あと、何度見ても金田のバイクはかっこいいです。
どこかにフィギアが売ってないかな‥‥。
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愛車 Renault 21 号、雨漏り修理が完了しました。
サンルーフの周りのゴムが経年劣化で収縮してしまい、隙間から雨がダダ漏れだったようです。
ゴムの隙間をコーキング処理し、排水のドレン系を清掃してもらいました。
また、今後のさらなる劣化に備えて、言葉ではうまく説明できないような手作りの雨漏り対策も仕込んでもらいました。
さらに、それでも万が一雨漏りがした場合には、「手ぬぐいを丸めてここに詰め込んでください」といったアドバイスももらいました(笑)。
いつも機転の効いた修理をしてもらって、ホントこの秘密工場には感謝しております。
さて、愛車 Renault 21 号を引き取りに行った時のこと。
愛車 Renault 21 号の周りでウロウロしていたら、他のお客さんが来ました。
そして、気軽に私に話しかけてくれました。
なんとこの方、私のブログに時々コメントしていただいている東北さんでした。
愛車 Renault 21 号と秘密工場とブログが縁で、はじめてお会いする東北さんとお話しすることができました。
友達も多くなく、ふだんは引きこもりがちな私ではありますが、こういった縁で見ず知らずの方とお話しできたのは、とても嬉しいことでした。
東北さん、今後もこのブログをよろしくお願いします!
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昨日、道成寺の千手観音に衝撃を受けたことを書きました。
そして、本日の会社帰り。
たまたま立ち寄った本屋さんで、あるカレンダーが目に飛び込んできました。
それは、「国宝の仏像 2017」というカレンダー。
表紙は、なんと道成寺の千手観音でした。
もちろん、即座にゲット。
道成寺の千手観音のことをブログに書いた翌日、そのカレンダーを発見。
縁って、あるんだなあ。
そのカレンダーには、12駆の仏像が載っていました。
で、そのうちの11駆は、すでに拝観したことがあります。
まだ拝観したことのないのは、仁和寺の阿弥陀如来だけ。
惜しい!
来年は、仁和寺の阿弥陀如来を拝観することにします。
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この旅の最初の訪問地は、道成寺でした。
当初想像していたよりお寺の規模は大きく、ちょっとだけ法隆寺に似たイメージがありました。
このお寺には、3駆の千手観音が安置されています。
正式名はよくわからないので、便宜上、国宝千手観音、北向千手観音、胎内仏千手観音と呼ぶことにします。
まずは、胎内仏千手観音。
道成寺を訪れた目的は、胎内仏千手観音を拝観するためでした。仏像の本で胎内仏千手観音を見て、是非とも本物を見たくなったのです。
胎内仏千手観音は、本堂に安置されていました。
発見時はボロボロで、あとから随分丁寧に修復されたようです。
修復したときに、多少現代的な味付けがあったのかもしれません。
直線的でソリッドなその姿は、他の仏像にはない独特のものでした。
北向千手観音。
今回は、この仏様にお会いすることはできませんでした。
なぜなら、秘仏で開帳されていなかったからです。
開帳は、33年に1度。
次の開帳は、2038年。
22年後です。
そのときまで、生きていられるかどうか‥‥。
国宝千手観音。
衝撃的な出会いでした。
奈良でも京都でもなく和歌山という地に、こんなすばらしい千手観音が存在したとは。
写真集などでその姿形を見たことはあったのですが、実物の凄さはもう言葉では伝えきれません。
感動しました。
その他にも、ちょっと気になる仏像もありました。
五劫思惟阿弥陀如来。
アフロヘアのような独特の髪型の五劫思惟阿弥陀如来は、東大寺にしかないものだと思っていました。
私は仏像が好きで、名のある仏像はそこそこ拝観してきたつもりでした。
が、道成寺を訪れて、まだまだすばらしい仏像がたくさんあるのだな、と再認識しました。
仏像拝観の旅をこれからも続けようというモチベーションが、グッと高まりました。
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今回のドライブ旅行、初日に宿泊した宿は、駅の近くのドーミーイン。
このホテルの魅力は、夜食の夜鳴きそばが無料でいただけることです。
ただなのに、実に美味しいです。
朝食は、バイキング。
もちろん、コーヒーも自由に飲めます。
私はいつもホットコーヒーをいただくのですが、ホットコーヒーであることを示す表示を見てびっくり。
「hot coffee」と「熱珈琲」と書いていました。
英語と中国語です。
それだけ。
日本語は、表示されていませんでした。
日本人なら表示を見なくてもコーヒーだとわかるだろうってことなのかなあ。
なんかしっくりこないなあ‥‥。
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我が社には、まとまった休みを取れるフリーバカンスという制度があります。
その休みを利用して、毎年秋には旅行しています。
今回は、横浜→和歌山→奈良→三重→滋賀→横浜とまわってきました。
目的は、ドライブと仏像拝観と松阪牛です。
当初は、3泊5日の予定でした。
前日の夜に横浜を出発し、仮眠をとりながら和歌山の道成寺まで徹夜で走り、朝イチから観光を始めるつもりでした。
が、直前になって体力に自信がなくなり、もう1泊宿を確保。
初日は日中に移動し、和歌山で1泊して、次の日から観光を始めることにしました。
移動だけで観光をしない日を設けるのは、私としては滅多にないことです。
トシをとりました。
さて、初日。
横浜から和歌山まで、愛車 Renault 21 号で約600kmを走破。
19時30分ころ和歌山市内に着いたのですが、ここで困ったことが発生。
ガソリンスタンドが見つからないのです。
愛車 Renault 21 号は、フューエルメーターが壊れていて、あとどれくらいガソリンが残っているのか正確にわかりません。が、約600km走ったので、どう考えてもそろそろガソリンを入れないと危ないのです。
いかにもガソリンスタンドのありそうな広い道をいくら走っても、ガソリンスタンドは見つかりません。カーナビで検索して近くのガソリンスタンドに行ってみたのですが、行ったところは全て閉まっていました。
結局、ガソリンスタンドを探して無駄に走り回って余計にガソリンを消費した挙句、この日は給油できませんでした。
先が思いやられます‥‥。
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咳が止まりません。
常に咳き込んでいるわけではなく、たまに咳が出るだけ。
咳以外は、ほぼ健康。
けど、ちょっとだけ胸が苦しく、なんか不愉快。
体調は悪くないので、会社を休んでまで病院に行く気もせず、本日で4日目。
おかしいなあ。
なんか悪いのかなあ‥‥。
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北海道開拓の村を訪れて、いろいろと思うことがありました。
学校。
私が義務教育を受けた時代は、まだまだ木造の校舎が主流でした。
なので、木造の校舎を見ると、私の思い出とは何の関係もないのに、懐かしくなってしまいます。ついつい、椅子に座ってしばらくぼーっとしていました。
教室の中には、木の机が並んでいました。
が、その机は、ほとんど傷んでいませんでした。
机は、当時のものじゃないんだろうなあ‥‥。
トイレ。じゃなくて、便所。
私が幼い時に住んでいた家は、当然ながら汲み取り式の便所でした。が、便器は木製ではなくって陶器製でした。親戚の家は木製の便器だったのですが、なぜかちょっと怖かったような気がします。
それにしても、昔の便所って、下の方に小窓がついていましたよね?
なんのために小窓をつけてたんでしょう‥‥。
ストーブ。
北海道開拓の村には、北海道の生活には欠かせないストーブがいくつか展示されていました。
昔我が家で使っていたものとそっくりな、石炭ストーブ。
今でも餅つきの時に使っているものとそっくりな、薪ストーブ。
リアルな懐かしさがありました。
教会。
北海道の開拓時代にも、教会があったようです。
キリスト教、どんな時代にもどんな田舎にも進出していくのだなあ‥‥。
病院。
開拓当時の病院は、たいへんだったはず。
そもそもお医者さんはほとんどいなかったんだろうし、設備も揃っていなかったんだろうし。
当時のお医者さんはホントにがんばっていたんだろうなあ、と思わせるようなリアルな展示でした。
北海道開拓の村、もう一度行ってみたいです。
真冬の、一番北海道の厳しさが伝わる時期に。
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年間勝ち点が松本より6点少ないC大阪が、プレイオフで逆転してJ1昇格。
年間勝ち点が浦和より15点少ない鹿島が、プレイオフで逆転してJ1優勝。
どうも納得がいきません。
昇格すべきは、松本。
優勝すべきは、浦和。
ルールに負けただけ。
松本さん、浦和さん、胸を張って!
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本日の深夜。
いきなり目が覚めました。
なぜか咳き込んで、目が覚めたのです。
で、本日の日中も、ときどき咳が出るのです。
熱は、平熱。
喉も痛くありません。
自覚症状は、咳がでること、ちょっとだけ胸が痛いこと。
それ以外は、体調は全く悪くありません。
どう考えても、風邪やインフルエンザではありません。
風邪やインフルエンザだったらある意味安心できるのですが、原因がわからないのはちょっと不安です。
もうちょっと様子をみて、症状が改善しなかったら病院へ行ってみようかな‥‥。
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そこそこ開拓が進まなければ、市街地はできません。
たぶん、山村や農村や漁村が最初にあって、だんだん人が増えて、インフラ的にも経済的にもそこそこ整備されてきて、それで初めて市街地が形成されたのだと思います。
なので、市街地群は、開拓初期のような悲壮感は感じられません。
北海道もここまできたのだなあと、なんだかホッとします。
北海道開拓の村は、だだのテーマパーク的なものではありません。
開拓初期の厳しさ、開拓者の努力、その結果としてどのように北海道が発展してきたか、そのようなものが本気で伝わってきて、たいへん勉強になりました。
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北海道開拓の村の農村群は、私にとってはとても印象に残るものでした。
ここの市街地群や他の類似施設は、建物の中にパネルや説明のためのものが並べられていることが多く、ある意味昔のままの姿を保っていません。
が、ここの農村群は、最低限の説明があるだけで、基本的には昔のままの姿で再現されています。
まあ、大富豪や有名人の邸宅ではなく、一般農家が多いので、説明の必要がないのかもしれません。
その中で、特に印象的だったのは、開拓小屋。
明治時代、移住してきたばかりで住むところもない移住者が、とりあえず建てた家のようです。
これがまた、質素。
三匹の子豚という物語がありますよね?
その物語で、最初におおかみに吹き飛ばされた家のような、藁の家なのです。
しかも、中に入ると、土間の一部にムシロをひいているだけ。
要するに、ほとんど竪穴式住居なのです。
この家で、ほんとに北海道の冬を越せたのでしょうか。
当時の開拓者の根性には、ホント頭が下がります。
北海道開拓の村は、予算が足りなくて、維持するのにとても苦労しているようです。
それが見てわかる建物もありました。
それが、旧小川家酪農畜舎。
北海道開拓の村のホームページにはかっこいい姿の建物が載っているのですが、私が行った時には、朽ち果てたのか修復中なのか、建物は原型をとどめておらず、ブルーシートがかけられた状態でした。
その他にも、傷んだ建物がたくさんありました。
なんとか予算を確保して、きちんと修復し、長く北海道の歴史を伝えてほしいと思います。
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北海道開拓の村には、山村群という区画があります。
が、寒さのため生活環境が厳しい北海道、あえて山に住むようなことは滅多にないはず。
なので、林業のために一時的に山の中で暮らす施設がところどころにある、といった感じなのでしょう。
まずは、飯場。
まさしく、林業のために一時的に暮らすところですね。
建物の内部も、当時の生活が再現されていましたが、ほんとに寝るだけの施設でした。壁のないカプセルホテルといった感じでした。
この施設に1ヶ月暮らしていたのか半年暮らしていたのかわかりませんが、娯楽のない山中で、何を楽しみにがんばっていたのでしょうか‥‥。
森林鉄道機関庫。
これも、林業のための施設ですね。
当時は、こういった鉄道が大活躍したようです。
一方、最近のJR北海道。
利用者が少ないため、廃線やバスによる代替輸送が増えてきています。
なんか、残念です。
観光列車や豪華寝台列車で成功しているJRや私鉄がある中、JR北海道も観光で勝負すればもっともっと集客力は上がるはずなのに。JR北海道、もっと工夫してほしいものです‥‥。
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