やっと帰省
今年は正月に帰省して以来、帰省していません。今まで4回帰省を予定して、4回キャンセルしました。もちろんコロナ禍のためです。
で、ワクチンの2回の接種も終わり、コロナもだいぶ収束してきたので、やっと明日帰省できることになりました。
もちろん油断はできませんが、ひさびさにゆっくりしてきます。
今年は正月に帰省して以来、帰省していません。今まで4回帰省を予定して、4回キャンセルしました。もちろんコロナ禍のためです。
で、ワクチンの2回の接種も終わり、コロナもだいぶ収束してきたので、やっと明日帰省できることになりました。
もちろん油断はできませんが、ひさびさにゆっくりしてきます。
定年後新しい仕事について2年半。新しい仕事にも慣れ、また自分でもびっくりするほど真面目に仕事をしてきたこともあり、だいぶスキルが向上してきました。今では他の社員よりも売り上げに貢献し、仕事の質に関しても上層部に評価されるようになってきました。
私が良い仕事をできるようになったのは、あくまで定年前の仕事がベースとなっているからです。そして、定年後もそのベースを活かせる職場に配属されたからです。
ところが、最近まずい状況になり始めました。上層部が過度に私の実力に期待して、他の人ができないような無茶なレベルの仕事が回ってくることが多くなってきたのです。
それでも、自分の土俵で頑張れればモチベーションも上がります。が、私にとっては経験のない全く違う分野の仕事まで私に回ってくるようになったのです。
例えば。
私が陸上競技の100mに専念して練習して、オリンピックで金メダルを取ったとしましょう。そして監督から「来週の200mにも出てくれないか。君なら200mでも金メダルを取れるだろう。」と言われれば、「わかりました!頑張ります!」と言って期待に応えようとするでしょう。
だがしかし。
同様に私が陸上競技の100mに専念して練習して、オリンピックで」金メダルを取ったとしましょう。そして監督から「君は100m走るのが速いよね。その調子で来週の競泳100m自由形にも出てくれない? 銅メダルくらいは取れるよね?」と言われたら、どうでしょう。期待通りの成績を残せるわけないじゃないですか。
私の上司は、そういった勢いで仕事を私に集中させ始めたのです。確かにやりがいはあります。が、とても良い仕事ができるとは思いません。困ったなあ・・・・。
最後に蛇足。
私は今でも100m走らせたら人より速く走れる自信はあります。が、水泳の場合は、スタート台から飛び込んだら最後、2度と浮いてこない自信があります・・・・。
私の勤めている会社では、がん検診を奨励していて補助金が出ます。1年に3万円です。この金額だと内視鏡による胃がん検診と内視鏡による大腸がん検診のどちらかが、概ね自費なしで受けられます。なので、私は胃がん検診と大腸がん検診を毎年交互に受けることにしています。このやり方だと、胃がん検診も大腸がん検診も2年に1回することになります。
で、ふと思ったのです。大腸も胃も2年に1回でいいのかな?と。早速調べてみました。
まず、胃がん内視鏡検査。
1年に1回、2年に1回というのが多かったです。
次、大腸がん内視鏡検査。
1年に1回という考え方から10年に1回という考え方まで様々でした。
早期発見という考え方をすると、毎年検診するのが良いというのはわかりきっています。じゃあ、1年に1回でいいの? 1年に10回の方がもっといいよね? と考えるとキリがありません。
早期発見の他に病院の事情もあるようです。ネットで探すとがん検診の説明をしているのは病院関係がほとんどです。病院の立場で言うと、できるだけ頻繁にがん検診をしてもらうほうが儲かるわけです。
で、重要な気づきがありました。胃がんは比較的速く進行するので、早期発見という意味では検査を頻繁にやった方が良いと言うことです。
また、大腸がんは進行が遅いと言うこともわかりました。大腸内視鏡検査で仮に小さなポリープが見つかっても、それががんにまで進行するのには10年くらいかかるのだそうです。なので、一度大腸がん内視鏡検査をして大丈夫なら、そのあとはしばらく検査の間隔をあけても大きな問題はないということです。
ということで、私なりの結論。
毎年交互に胃がん内視鏡検査と大腸がん内視鏡検査をしてきましたが、これからは胃がん内視鏡検査を多めにやります。一昨年は大腸がんの検診を、昨年は胃がんの検診をしました。いつもの考え方なら今年は大腸がんの番ですが、胃がん検診を受けます。
私ももうトシなので、これからはきちんと考えて身体のケアをしていこうと思います。
愛車Renault21号、本日走行距離15万kmを突破しました!
おめでとう、愛車Renault21号!
30年で15万kmというのは車好きにとっては少ない方だと思います。が、何といってもそこはフランス車。30年も無事でいて、15万kmもの走行距離を走ったことは、驚異的だと思います。
15万kmがどれくらいすごい数字かと表すと。
地球1周の距離は、約4万km。ということは、愛車Renault21号は地球を3周と3/4走ったことになります。なんかすごいけど、イマイチ実感がありません。
もう少し身近な例えをすると。
北海道の北端の稚内から九州の南端の枕崎までは、約3,000km。ということは、愛車Renault21号は、北海道の端っこから九州の端っこまでを25往復したことになります。これはすごいですね。
ちなみに私は今年62歳。愛車Renault21号は30歳。
来年私は63歳。愛車Renault21号は31歳。
そして再来年私は64歳。愛車Renault21号は32歳。
何と再来年は、私の人生の半分を愛車Renault21号と共にしたことになります。
愛車Renault21号、可能ならば一生付き合っていきたいです。
今回期日前投票を行なったわけですが、投票するたびに思うことがあります。それは、ついでのように行われる最高裁判所裁判官の国民審査についてです。
最高裁判所裁判官の国民審査は、法律で定められていることは理解しています。が、あのような形で投票を行なって意味があるのか甚だ疑問です。
・そもそも国民は、意味をわかって投票しているのか。
・それぞれの裁判官は何を裁判してきた人なのかわかっているのか。
・何も書かずに投票用紙を箱に入れて、それで裁判官を信任したことにしていいのか。
・逆に罷免されなければならない裁判官とはどのような人なのか。
・そもそもバツをつける判断基準は何なのか。
こういった形式的な投票は無駄なだけなのでやめた方がいいと思うのですが、いかがでしょうか。
そうはいっても法律を変えなきゃならないし、そういった行動をしても何の利益にもならないし、誰も制度改革に立ち向かうとは思えないですが。
ちなみに、日本の歴史上国民審査で罷免された最高裁判所裁判官はひとりもいないようです。
コロナもだいぶ落ち着いてきたので、来週末はひっさびさに北海道の実家に帰省してきます。
が、ふと気づくと来週末は総選挙があります。
ということで、本日期日前投票をしてきました。
私は余程の理由がない限り、選挙がある場合は必ず選挙権を行使します。それが当然だと思っています。投票の結果が自分の思いとは違うことはよくありますが、それでも政治に対する意思表示はすべきだと思っています。
積極的に支持する政党はありません。
が、最近は与党側に投票することが多いです。
理由はふたつ。
ひとつは、野党は政府や与党を攻撃するばかりで、野党自らの具体的な主張がわからないことです。政府が政策を発表したりすると、野党はよく具体性がない!と声をあげますが、野党の政策が何なのか全くわからないのが実情です。
もうひとつは、私は根本的に他人の悪口や批判ばかりをする人が大嫌いだからです。例えば、コロナだというのに街頭演説でこれ以上ない大声で政府の悪口を言う某党首とか、二番じゃダメなんですか!と言って努力を頭ごなしに否定する議員とか。もちろん某公共放送を罵倒するあの人も。
与党とか野党とかそう言う立場で選挙をするのではなく、日本をどうしていくのか、国民をどう守っていくのか、そういうことを正々堂々と議論して欲しいです。
東京国立博物館の特別展「最澄と天台宗のすべて」に行ってきました。
入場料はタダでした。うちの会社の福利厚生の一環で、チケットの無料配布があったのです。抽選だったのですが、私は外れでした。が、当たった友人から入場券を1枚譲り受けたのです。
最澄に直接関わる展示が半分くらい、天台宗という大きなくくりでの展示が半分くらいでした。
多くの仏像が展示されていましたが、比較的無名の仏像が多かったです。知っている仏像を観るのも良いですが、知らない仏像を先入観なしに観るのも良いものです。
私は仏様の仏像が好きで、高僧の仏像で好みのものはあまりありません。鑑真くらいかな。が、今回の展示では、円仁と円珍という高僧の仏像が素晴らしいと感じました。
また、私は書の良さはあまり理解できません。理解できないので、あまり丁寧に見ません。が、三筆のひとりである嵯峨天皇の直筆の書を見て、これは違うなと感じました。書をよく理解できない私でも、その伸びやかさとふくよかさを感じ取ることができました。
そういえば、以前何かの特別展で、空海と最澄の書が並べて展示されていたことがありました。奔放で天才肌の空海と生真面目な最澄の性格が文字にも表れていて、非常に興味深かったです。
今回ゲットした自分のお土産は、3つ。
お約束の図録。
これまたお約束のポストカード。
そして仏像の手ぬぐいでした。
私は小さい頃は巨人が好きで、よくプロ野球中継を見ていました。が、今は野球には全く興味はありません。今の興味はサッカーJ1、はっきり言って北海道コンサドーレ札幌にしか興味はありません。
が、野球もサッカーもシーズン終了が近づいてきて、ちょっと思うことがあります。プロ野球って、なんて恵まれているんだろうってことです。
プロ野球は、セリーグ6球団パリーグ6球団、合計12球団です。シーズン終了時点でそれぞれのリーグで3位以内であれば、クライマックスシリーズに出ることができます。要するに、シーズン終了時点で12球団中6球団に日本一になるチャンスがあるのです。ちなみに、サッカーJ1では、シーズン終了時点で20チームの頂点に立っているチームだけが優勝ということになります。
しかも。
そのクライマックスシリーズと言う名の敗者復活戦には、リーグ3位にさえ入ればリーグでの勝敗は問われません。今年のセリーグは現時点で負け越している巨人か広島がリーグ3位になって、そのまま日本一になる可能性があるのです。それで日本一と言えるのでしょうか。なんかおかしな仕組みですよね。
そして野球が最も恵まれているのは、どんなに負けても下位リーグに降格することがないことです。全敗しても残留確実です。サッカーJ1では、J2に降格することはたいへんなことです。スポンサーは離れるし、選手も離れるし、サポーターも離れるし、収入も減ります。経営すら危うくなるのです。
私は、北海道コンサドーレ札幌の優勝を信じて毎試合応援していますが、心の中ではJ2に落ちるのではないかといつもヒヤヒヤです。そういった思いをしなくて済むプロ野球は、ほんと羨ましいです。
私はずーっとBSデジタル放送は地デジより画質が良いと思っていました。実際、そのとおりでした。
が、いつのまにかBSデジタル画質が地デジ画質並みに劣化していたことを知り、愕然としました。2018年の本格的な4K放送開始に伴い、NHKのBSプレミアム、WOWOW、BS11以外の全てのBSデジタル放送が地デジ画質にダウングレードされていたのです。
もともとは、離島などの電波環境の悪いところでもちゃんとテレビが見られるようにしたり、災害に強い放送環境を作るためにBS放送が始まったと聞いています。その後BSデジタルが始まった時は、地上波よりも画質が良い!という売り文句があったはずです。
以前、NHKなどで地デジとBSデジタルで同じ番組を同じ時間に放送していたことがよくありました。その時に大画面のプラズマテレビでチャンネルを切り替えながら地デジとBSデジタルの画質を比較したことがあるのですが、素人の私にでもはっきりとわかるくらいBSデジタル画質のほうが良かったです。
新しいことを始める時には、たいていは良いところばかり宣伝します。が、それが企画倒れに終わったり悪い方向に方針変更する時は、何の説明もないことがよくあります。画面が立体的に見えるという3Dテレビなんか最たるものですね。4Kテレビが3Dテレビのような末路を辿るとは思っているわけではないのですが・・・・。
これからはBSを見る時は4K画質で見ろということなのでしょう。そして4Kで番組を見るためには、4K対応テレビを買えということなのでしょう。それはそれで間違ってはいないと思うのですが、なんだかなあという感じです。
私は8年ほど前に購入した60インチのプラズマテレビを持っています。4Kではありません。当面買い換える気はないのですが、最近販売されているテレビほとんどが4Kになっていて、またハイクラスのテレビは有機ELになったきました。ちょっと興味があったので、4Kや有機ELについてちょっと調べてみました。
まず最初におどろいたのは、テレビはほとんどが4K化されているのに、放送されるコンテンツとしての4K番組が思いのほか少なかったことです。
BSは4K化されていますが、地上波は一切4K化されていません。というか、地上波については4K化の計画すらありません。少なくとも2025年までは地上波4K化はなく、それ以降は何も決まっていない状況のようです。
BS以外の4Kコンテンツは、スカパーの一部番組と、youtube や amazon prime video や netflix などのインターネット系のコンテンツばかりです。
ここで言えることは、地上波テレビしか見ない人にとっては、今4Kテレビを買う必要は全くないということです。
最近は、若者のテレビ離れが起こっているという話を聞きます。そして若者は、インターネット動画を見るようになってきたという話も聞きます。要するに4Kは、若者にとって価値のある技術だといえるかもしれません。
比較的高齢な人たちは、地上波テレビしか見ない人が多いと思います。ということは、高齢者が4Kの恩恵を受けることはないように思えます。まあ4Kだなんだとテレビを高画質化しても、高齢者は目が悪い人が多いと思うので、そういう意味では4Kのような高画質化はあまり意味がないのかもしれません。
私も62歳と高齢者の領域に入りつつあります。そういう立場で考えると、テレビに一番求めることは大画面です。何より小さい画面は見にくいです。
次が高画質。これは今まで高画質や高音質にこだわってきた趣味人としての私のプライドです。が、今販売されているテレビのほとんどは十分に高画質なので、普通の人にとっては高画質はあまり気にする必要はないです。
自分にはどういうテレビが必要なのか、ちゃんと考えて買う時代になってきました。
本日、我が北海道コンサドーレ札幌vマリノス戦を久々に生観戦してきました。
1対2で逆転負けでした。
競合マリノスを相手に先制点を入れ、その後も試合の大半を完全に支配していたのにラスト15分で逆転。99%勝つつもりで応援していたので、ショックは大きかったです。
が、我がコンサ、強くなりました。結果が伴わないだけです。悲観することはないです。
弱くなったのは、私のほうです。
ひっさびさに90分間立ちっぱなしで応援したら、運動不足と高齢のためにふくらはぎがパンパンになりました・・・・。
「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 前章」を観て、ヤマトシリーズ全体について考えてしまいました。
平成から令和にかけてのヤマトは、昭和のヤマトのリメイクです。私にとっては、オリジナルをはるかに上回る最高の作品となっています。が、昭和ヤマトを完全になぞって全作品をリメイクするのは、相当の覚悟が必要だと思われます。
リメイク前の昭和ヤマトは、総集編などの例外を除けば、6つの作品で構成されていました。
宇宙戦艦ヤマト:名作
さらば宇宙戦艦ヤマト:至上最高傑作
新たなる旅立ち:まぐれ当たり
ヤマトよ永遠に:蛇足
ヤマト3:駄作
完結編:最後の一花
現在は、新たなる旅立ちの前半までリメイク放映がされています。リメイク版の新たなる旅立ちの前章が非常によかったので、後章も間違いなく素晴らしいものになるでしょう。
問題は、その後。
蛇足と駄作と最後の一花をどうリメイクするのか。いままでの流れを考えると、汚名返上のリメイクとなる期待はあります。が、正直、蛇足の「ヤマトよ永遠に」はリメイクしなくてもいいし、駄作の「ヤマト3」はリメイクしないほうが良いと思っています。
さあ、どうなるか。
最後に。
来年2月4日に封切りの「宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち2205 終章」は、デスラー総統が主役となって大活躍するはずです。
頑張れ、デスラー!
「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 前章」を観てきました。
すばらしい!
最高でした!
エヴァンゲリオンを観たときも、すごいとは思いました。
しかし、エヴァンゲリオンは、高揚するような感動とは違いました。
例えば、ノーベル賞を受賞した人がすごいことはわかるんだけど、何がすごいんだかその研究内容がさっぱりわからないみたいな感じ。
が、エヴァンゲリオンとは違ってヤマトは100%共感できる感動を与えてくれます。
例えば、良いときも悪いときも応援してきた北海道コンサドーレ札幌、スタジアムに行ってゴール裏で応援していて、試合終了間際に勝利を決めるゴールが決まったときの爆発的な高揚。そして見ず知らずのサポーターとハイタッチする共感。そういったものがヤマトにはあるのです。
何から何まで素晴らしかった「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち 前章」ですが、終わりかたは拷問に等しいものでした。
今回は前章ですから、次は後章です。なので、今回は「つづく」という形で終わったわけです。盛り上げるだけ盛り上げておいて、「ああどうなるんだ!!!!」と思った瞬間に「つづく」となったのです。
昔「巨人の星」というアニメがありましたよね? ピッチャーの星飛雄馬がバッターの花形満に向かって豪速球を投げ込み、今まさに決着が!というところで「つづく」ということがよくあったじゃないですか。あんな感じでヤマトの前章も終わってしまったのです。巨人の星は1週間待てば結果がわかるからまだいいんですよ。が、ヤマトの後章は2022年2月4日封切りです。あと4ヶ月も待たなければならないのです。
拷問です・・・・。
マンションのリフォームや売却などのお勧めの電話が相次いでいます。この手の電話は今までも年に1回くらいはあったのですが、ここ1〜2ヶ月の間に3回と急に増えてきました。
私の住んでいるマンションはそこそこ古くなってきたので、こういった話が持ちかけられること自体は不思議ではありません。問題は、全ての電話で私の名字と住んでいるマンションと電話番号を知った上で電話をかけてくることです。要するに、何らかの形で個人情報が漏れているのです。
なぜだろう。
なんか気になります。
勧誘の内容そのものは妥当な内容であり、電話ではちゃんと自分の会社と担当者名を名乗ってから話を始めるので、そんなに悪質な感じはしないのですが、それでも気持ち悪いです。
今度似たような電話がかかってきたら、「私のことを何で知りました?」と聞いてみることにします。
先日、波動スピーカーをチューニングする決意をしたことを書きました。根本的な改造はできないのですが、バスレフポートの変更による低周波域の改善くらいできそうです。まずは、私のバスレフスピーカーについてどの低周波領域が増強されているかを計算してみました。スピーカーの容積及びバスレフポートの直径と長さを測り、ヘルムホルツ共鳴の式に代入してみました。結果、100Hz前後の周波数が増強されていることがわかりました。
100Hzというのは妥当な数字だと思われます。このスピーカーを手作りしてヤフオクに出品した方は、きちんと計算していたのでしょう。
が、それにもかかわらず低周波域の音がイマイチなのは何か他の原因があると考え、ネットでいろいろと調べて勉強してみました。
そしたら、有力な説が見つかりました。バスレフ式のスピーカーでは、狙った周波数は増強できるが、f0(低音再生限界)以下では音を制御できていないということです。アンプが出している音楽信号とは無関係に共鳴音が鳴ってしまうらしいのです。すなわち、低音の迫力は出るけども、それは原音ではなく別の音だということです。
スピーカーメーカーはそれをわかっていてバスレフスピーカーを開発していますが、知見のない素人の私には良いバスレフスピーカーを設計できる可能性はほぼゼロのようです。
ということで、今回の波動スピーカーのチューニングは、バスレフポートを塞いで密閉スピーカーにし、アンプのトーンコントロールで音を追い込むことにしました。
うまくできるかな・・・・。
先日、波動スピーカーのチューニングを決意したことを書きましたが、モタモタしていていまだに作業は進んでおりません。が、波動スピーカーの現状把握は少しできてきました。
波動スピーカーを最初に手に入れた時の第一印象は、まあまあ満足できる音質じゃないかなということでした。が、改めてリビングで使っているメインスピーカー VICTOR SX-500DE Dolce Eterno と聴き比べてみると、その差は歴然でした。私の波動スピーカーは、低音はよく出るのですが、低音の出方が不自然なのです。これは波動スピーカーの特性というよりも、バスレフポートの設計が最適化できていないことが考えられます。なんといっても私の波動スピーカーは、ヤフオクでゲットした手作り品なのです。
バスレフスピーカーは、ヘルムホルツ共鳴の原理を用いています。主に低音域(低周波域)を持ち上げるためです。ヘルムホルツ共鳴をスピーカーに適用することはすでに研究し尽くされています。箱の容積とバスレフポートの直径/長さをパラメータとした簡単な式で計算できるので、私のようなちょっとした技術の知見がある人間であれば、それなりのバスレフスピーカーは作れるはずです。
が、問題は技術の知見だけではなく、音楽の知見も必要だということです。私のようなレベルでは、何ヘルツの周波数をどれくらい増幅させるかといった計算はできるのですが、何ヘルツの周波数をどれだけ増幅させるとと良い音になるのかという音楽的知見がないのです。
あと、ヘルムホルツ共鳴の原理を使った場合、狙った周波数の増幅をするのは簡単なのですが、意図しない周波数を減衰させることにもつながります。ヘルムホルツ共鳴を使ったバスレフスピーカーは、バランス設計が難しいのです。
私はすでにバスレフ式のスピーカーをゲットしています。本格的な再設計は、もうできません。できることは、今あるバスレフポートを完全に塞いでみるとか一部を塞いでみるとか、そういった試行錯誤だけです。試行錯誤の結果、たまたま良い音が出るようになったらラッキーどいうことです。
今週末にでも試行錯誤してみます。
私はappleのサポート体制は世界一だと思っていました。今もそうではあるのですが、ちょっとだけ綻びも見えてきました。
今年新型iMacは発売されたときに、「7色のiMacを全て見たいが店頭に展示しているか?」と最寄りの apple store に電話で問い合わせたところ、「あります!」との回答がありました。で、行ってみると店頭展示されているのはたった1色のiMacだけでした。これがappleの今年第1回目の失態でした。
そして、一昨日。
最近 apple store に入店する時は、コロナ禍での密を避けるために、事前にネットで時間を指定して予約しないとダメでした。で、apple store に行く用事があったので、最寄りの apple store で予約しようと思ってホームページを開いてみたら、以下のように記載されていました。
「申し訳ございませんが、現在、ショッピングセッションのご予約は受け付けておりません。」
この一文を見て、緊急事態宣言が解除されて予約なしで apple store に入れるようになったのだなと思い、そのまま apple store に行ったのですが。
そしたら。
なんと「入店はできません」と断られてしまいました。予約を受け付けていないのはコロナ禍が収束に向かったからなのではなく、先日新発売された iphone 13 の予約と対応に手一杯で、iphone 13 以外の客などかまっていられないということでした。もちろんそんな言い方ではなく、失礼にならないように何重にもオブラートに包んだ丁寧な口調ではありましたが。
そのまま帰ろうとしたのですが、受付のかたが「せっかくお越しいただいたのだから」と2〜3分店内に入れてくれました。が、2〜3分では目的が達成できるわけもなく、残念な気持ちで apple store を後にしました。
繰り返しますが、ホームページには「申し訳ございませんが、現在、ショッピングセッションのご予約は受け付けておりません。」と記載されていました。「apple store には入れません。」とは記載されていなかったのです。
今回の不満は、以下のふたつです。
・真意が伝わらないホームページの記載
・売れ線の商品を売りさばくために他の顧客をないがしろにする態度
特にふたつ目は、絶対にあってはならないことのはずです。それを apple がやっていることに対して大ショックを受けました。
昨日、献血してきました。55回目の献血となります。
ほんとはもうちょっと献血の機会は多かったはずなのですがが、身体的な都合で献血をできないことがときどきりました。
まずは、体質の問題。
私は体質的に血液が薄めで、ヘモグロビン値やヘマトクリット値や赤血球数が基準範囲のほぼ下限値です。日常的に下限値なので、ちょっとしたことで基準値を下回ってしまいます。なので、献血の血液検査で5回に1回くらいはNGが出て献血できないことがありました。
そして、大きな病気をして献血できない時期もありました。
成人スティル病にかかった時は、そもそも免疫系の病気だったので献血など論外でした。またしばらくステロイド系の薬を飲んでいたので、その期間の献血もダメでした。薬をやめてからもしばらく献血は自粛していました。
また、心臓手術の前後もしばらく献血はできませんでした。血液をサラサラにする薬を飲んでいたので。
で、昨日献血に行ったときには、心拍数でひっかかってしまいました。心拍数は100以下という献血の基準があるなかで、心拍が112でした。心臓手術で基本的に心臓は治っているのですが、心拍数は90を超える状態で高め安定していてちょっと動いたり興奮したり緊張したりすると100を超えてしまいます。昨日は、献血ルームで10分くらい安静にして心拍数を測定し直してギリギリセーフでした。
私は、死ぬまで100回は献血したいなあと思ったことがあります。献血は69歳までできるので、18歳から69歳まで年に2回ペースで献血すると102回の献血ができます。それほど難しいことではないと思います。
が、私は62歳で55回しか献血できていないので、生涯100回の献血は無理です。
私は現在62歳。献血ができるのは69歳までなので、あと7年。400ml献血の場合、1年で献血できる回数は3回。7x3で私はあと21回の献血ができます。
現在の献血回数は、55回。それに21回を足して76回。したがって、私の生涯献血回数の目標は76回ということにします。
がんばります。
がんばるといっても献血ルームへ行くだけなのですが。
一昨日の夜、震度5弱の地震がありました。
そして次の日(昨日)。
テレビをつけてしばらくすると、消したつもりはないのにテレビが映っていません。???と思ってよくよく見たら、電源スイッチがオフになって待機状態になっているのではなく、完全に電気が来ていない状態でした。もしかすると地震で壊れたか?と思いゾッとしました。
とりあえず最低限の確認をしました。当然思いつくのは、電源コンセント。電源コンセントが抜けていないのか確かめました。コンセントはきちんと刺さっていましたが、テレビと電源コードの接続部が緩んでいたらしく、テレビ側の電源コードを押し込んだら無事復旧しました。
もしかしたら、地震の振動で緩んだのかもしれません。が、もしかしたらほんとに接触部が壊れていてたまたま復旧しただけかもしれません。
本格的に故障していないことを祈りながらテレビを見ています。
先ほど関東で大きな地震がありました。
皆さんは大丈夫だったでしょうか。
私の住んでいる横浜は、震度5弱。
寝室のベッドに寝そべって本を読んでいるときに地震がきて、飾り棚に飾っていたウルトラマンや怪獣やジャイアント馬場さんのフィギュアが上から降ってきてびっくりしました。
私自身に怪我などはなく、無事でした。
また家の中もぱっと見には大きな被害はなさそうです。
が、趣味のグッズの被害が心配です。
明日にでもいろいろと被害を確認しようと思います。
今後は余震が心配です。
というか、実は今回のが余震で後から本震が来るのが一番恐ろしいです。
気をつけないと。
と言っても、地震って気をつけていても起こるんですよねえ・・・・。
寝室の波動スピーカーをチューニングするにあたり、音質以前に基本的なことを解決しなければなりません。波動スピーカーをどこに置くかです。
私の寝室は、6畳。窓際にベッドを置いて、ベッドに寝そべりながら音楽を聴きます。が、寝転がった姿勢で見ると、右側には窓、背中側には本棚、足元側には飾り棚が並んでいます。スピーカーは、左側の空きスペースに置くしかありません。が、そうすると音が左側からしか聞こえません。やはり音楽は正面から聴きたいです。
いろいろと考えたのですが、ナイスアイデアがありました。スピーカーを天井に吊るせば良いのです。ベッドの足元の上方の天井にスピーカーを吊るせば、音楽が正面から聴こえるわけです。
普通のスピーカーは天井から吊るすのは容易ではありません。
普通のスピーカーは四角いので、ちょっとでも吊るし方が下手くそだと思ったような姿勢で吊るせません。
しかもステレオにするために2本のスピーカーを吊るさなければなりません。2本のスピーカーの位置関係とスピーカーから耳までの位置関係を絶妙に揃えなければなりません。
が、波動スピーカーは吊るすのが簡単です。
構造上1本のスピーカーでステレオになるので、2本のスピーカーを吊るしながらセッテングする必要はありません。また円筒形なので、天井との平行さえ合わせれば神経質な姿勢設定をするは必要ありません。波動スピーカーの円筒部にフックをねじ込み、天井に吊るせばいいだけです。
そもそも波動スピーカーは天井に吊るすのに向いているので、メーカーは天吊キットを発売しているくらいなのです。
ということで、波動スピーカーを天井に吊るすことは決定しました。
が、この際音質も良くしたいので、波動スピーカーそのものの音質チューニングにしてみようと思います。
オーディオ魂に目覚めた私が最初に検討を始めたのは、寝室のスピーカーです。いわゆる波動スピーカーというやつです。6年ほど前に、ヤフオクでゲットしました。
寝室で音楽を聴くということは、夜に音楽を聴くことが多いということです。当然大きな音量は出せません。遠慮がちな音量で聴くことになります。ということは、高級なスピーカーを買ってもフルに性能が出せないということです。なので、安いスピーカーを買って自分なりにチューニングしていこうと思いました。
そこで目をつけたのが、波動スピーカーです。正規メーカーの波動スピーカーは相当高額なのですが、出品者さん手作りと思われる安い波動スピーカーがヤフオクに出ていたので、試しに買ってみました。
波動スピーカーとは何かというと、筒の両側にスピーカーユニットを背中合わせにして取り付けたスピーカーです。
いわゆるオカルトものです。オーディオのオカルトとは何かと言いますと、音質を追求するあまりに、常識を外れた怪しげな理論を考えて作られたオーディオ機器です。なかには効果のあるものもありますが、明らかにインチキだとわかるものもあります。
波動スピーカーも、絶賛する人もいれば鼻で笑う人もいます。私は絶賛はしませんが、意外とアリなんじゃないかなと思っています。
その波動スピーカーについて、まずは設置の仕方を考えていこうと思います。そして、バスレフポートの改造を視野に入れて、低音の出方を改善していこうと思います。
大学を卒業してからしばらくの間、オーディオを趣味にしていたことがありました。趣味と言っても、マニアのように金にモノを言わせて良い機材を揃えるという趣味ではありませんでした。
それほど背伸びをしない予算を決め、その予算の中で徹底的に調べて視聴して、そのクラスベストの機材を選びます。そしてそのあとは、できるだけお金をかけないで良い音になるようにチューニングしていくのです。スピーカーの台を木にしたりコンクリにしたり縦にしたり横にしたりとか、ケーブルを変えてみたり接点を磨いてみたりとか、そういったことです。
なんでそんな地味なオーディオ趣味に走ったとかというと、お金に余裕がなかったこともありますが、どんなに高級な機材を揃えてもそれを鳴らす環境が整わないと良い音が出せないことがわかっていたからです。
近隣に迷惑をかけないような小さな音で音楽を聴いても、なかなか良い音は出せません。音響性能の悪い狭い部屋で音楽を聴いても、高級機材を活かせません。なので、自分の住んでいる環境の中で、できるだけ良い音を聴けるように工夫する趣味に走ったのです。どうせベストの状態に持っていけないことはわかっているので、金をあまりかけずに少しでもいい音を求めるようになったのです。
トシをとるにつれて、そういった趣味も薄まってきていました。
が、最近在宅勤務が増え、家で音楽を聴きながら仕事をすることが増えてきました。また、お気に入りのアンプが故障してそれを修理するということもありました。そういったこともあって、以前のようにもうちょっとオーディオに気を使ってみようかなという気持ちが芽生えてきました。
昔のオーディオ魂に立ち戻って、もういちど我が家の音楽環境を見直してみようと思います。
我が北海道コンサドーレ札幌、勝ちました!
5対1。
点が取れない試合がずいぶん続いたので心配していましたが、これで吹っ切れるでしょう。
今までは良い試合をしても結果が伴いませんでした。
今日は、良い試合をして結果が伴いました。
毎試合こうだったら、来年は優勝争いも可能です。
来週は横浜マリノス戦。
久々の生観戦です。
声援は送れませんが、心の中で勝利を念じます。
先日、ゴールデンタイムにテレビをつけたら、「明智光秀は生きていた!?」的な番組をやっていました。どうせ視聴率稼ぎの底の浅い番組なんでしょと期待もせずにみていたら、想像以上に中身のないインチキな妄想番組でした。
光秀が生きていたとする根拠がいくつか紹介さていましたが、いずれも例外なくネットで10分も調べれば出てくる内容で、新たな発見や独自の考察は一切ありませんでした。というか、半分くらいは私でも知っているような都市伝説的な内容でした。
最悪だったのは、「かごめかごめという童謡の歌詞は光秀が生きていたことを暗示している」というものでした。
「かごのなかのとりは」
鳥は朱鷺のことで、朱鷺は土岐のことで、光秀は土岐氏の流れを汲んでいるとか。
「いついつでやる」
光秀はいつ復活するのかとか。
「よあけのばんに」
夜明けといえば日光だ。日光といえば東照宮があり・・・・とか。
「つるとかめがすべった」
光秀は敦賀(つるが)と亀岡(かめおか)をすべっていた(統べっていた=統治していた)とか。
「うしろのしょうめんだあれ」
光秀の出身地から日光をの方を向くと、後ろの正面には光秀ゆかりの寺があるとか。
偶然に解釈が当たっている可能性はゼロではないですが、全ては大嘘であると思った方が良いです。なぜなら、「かごめかごめ」という童謡が光秀の時代からあったという証拠は、一切ないからです。かごめかごめの歌詞が残っている一番古い書物は、光秀の死後150年経ってからの江戸時代中期に書かれたものです。150年も前の光秀の生死を150年後に正しく書物に残すことは可能でしょうか? とてもそうは思えません。
しかも、江戸時代中期のかごめかごめは、現在の歌詞とは違っているのです。
江戸時代中期のかごめかごめは、
かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
までは現在の歌詞とほぼ同じなのですが、それ以降の歌詞は全く違うのです。
つるとかめがすべったという歌詞になったのは、なんと大正時代です。
うしろのしょうめんだあれという歌詞になったのは、大正時代以降、ヘタをすると昭和の時代なのです。
明智光秀が生きていることを大正や昭和に作られた歌詞を元に論じるのは、無理があるというより無茶でしょう。あまりにも考察不足、あまりにも勉強不足です。
ほんと、ゴールデンタイムにテレビで流れるバラエティ番組で信じられるものはありません。なんとか信じる気になれるのは、NHKとBSの番組くらいです・・・・。
最近のコメント